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【ビジネスTIPS】時間は共通言語ではない

こんにちは、かわうそです。

 

最近、こどもが小学生高学年になり、学校の宿題が増えてきたとともに塾にも行きだしたため、大人ばりに時間がないためスケジュール調整に余念がありません(妻が)。

ただ、子どもがキンダーガーデンという日本でいうところの年長から小学2年生の途中までアメリカで過ごしてきた我が家では、日本の硬直化した制度に疑問を感じるばかりです。

漢字の書き順や体育の体育着、そもそもランドセルだってなんで必要なんでしょうか。

徹底してルールに従わせ、ルールを逸脱していることを許容しない文化は、安倍政権がしきりに”ダイバーシティ”といっているにも関わらず、画一した先入観にとらわれる国民を量産しているにすぎません。

政治

 

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硬直した日本。でも近代になってからたったの100年しか経っていない。

 

そんななか、最近話題になっているのは置き勉ですね。

最近の小学生のランドセルの重さは平均すると7.7kgあるそうです。

いやいや、スーパーでお米を買ったことのある人はわかりますよね。

普通は5kgです。

あれよりも重い荷物を、大人の3分の一くらいしかない子供が背負うんですよ!?

ランドセル重いね

いったい、何のために教材を持って帰らせるのでしょうか。

というか、私が小学生だった30数年前から変わっていないってどういうことなんでしょうか。

日本は近代化から100年経ったといわれています。

 

・・・え!?

100年間しかまだノウハウが蓄積されてないんですよね?

なのにもうノウハウは確立され、これ以上改善しなくてもいいと思っているということですか!?

 

いつから日本人は保守的になったのか?

江戸時代は400年近く続きました。

そのおかげで近代化が遅れたともいわれています。

つまり、日本人はもともと保守的なんですね。

”変化する”ことに慣れてないということでしょうか。

 

でも、戦国時代はどうでしょう。そもそも明治の近代化だってこれほど変化したことはないというくらい、世の中は大きく変わったはず。

いまの日本は、既得権益に守られた人々が安泰すぎて、変化をさせまいと硬直化した世の中にあえてしてるんでしょうね。

なんとなく明治近代化の夜明け前というイメージもあります。

なんとなく世の中が閉塞してきて、市井の人々の間にも鬱屈とした感情がたまり、「このままではいけない」と思う人々のエネルギーが400年間続いた徳川政権をひっくり返したように。

変えてやる

時間は普遍ではない

前置きがだいぶ長くなりましたが、今日はそんな硬直化した考えのひとつ、「時間」についてです。

 

日本人にとって、時間は普遍のものという意識が強いのではないでしょうか。

それもそのはず、日本のどこにいっても同じ時間だし、さらにこの国民性とも言うべき正確な時刻を刻む交通機関や各種公共サービスが、”時間の概念は固定で、すべてにおいて同じ尺度として成り立つもの”という考えが当たり前になっていると思います。

 

え!?そんなの当たり前じゃろ?

 

と思ったあなた。

 

時間は普遍と考えるのは硬直化の一歩ですよ。

 

 

何もアインシュタインの相対性理論のことを言っているのではありません。

 

余談:アインシュタインの相対性理論

余談ですが、アインシュタインの相対性理論を理解するひとつの例を聞いた時、本当に目からウロコでした。

アルバート・アインシュタインン

 

 アインシュタインの相対性理論の例

まず物理原則として光の速度は不変で秒速30万キロであるということを覚えておいてください。

ある宇宙船に光時計があります。

宇宙船の天井に鏡をつけて、光を照射すると光が戻ってくるのに2秒かかりました。

つまり、この宇宙船は高さが30万キロあるということです。

この宇宙船は光速で移動しているときに、光を上に照射したとします。

光を照射した人にとって、2秒で光が戻ってくるのは変わりません。

ところが、仮に外からこの光景を眺めたとします。

宇宙船が左から右に移動しているとき、光を上に照射すると、その軌跡は斜めに右上に向かい、鏡に到達すると反射してまた斜め右下に向かいます。

相対性理論イメージ

 

 

光の速度はかわらないので、斜めに進む分距離が長くなったはずであり、2秒では光を発射した場所に到達しないはずです。

ところが、宇宙船の中にいる人には当然ながら2秒で光が戻ってきます。

光の速度が不変である以上、時間が遅くなったか、空間が縮んだかのどちらかで考えるしかありません。

時間と空間は伸び縮むする。

これがアインシュタインの相対性理論です。

 

時間は場所と人によって時刻もスピードも異なる

さて、ここで言いたいのは物理学として時間が可変であるということではありません。

世界時計

時間は場所と人によって時刻もスピードも異なります。

時刻は時差ですね。

日本ではほとんど意識しませんが、アメリカでは国内で時差があるので、時間が絶対だという感覚は薄いと思います。

加えて、流れるスピードです。

我々ビジネスマンにとって時間はF1レース並みじゃないでしょうか。

朝早くから今日一日のスケジュールをこなしていくと、気づけば日が暮れているなんてことはサラリーマンに多く生じる現象かと思います。

さらには、歳をとればとるほど時間の進み方が早くなるような気がしませんか。

日本の多くの会社にとって9月は中間見直しの時期かと思いますが、考えてみれば当初計画を立てたのはつい先日のことではなかったでしょうか。

四半期ごとの決算がその流れをさらに加速させています。

子どもの頃は一日が長かった。午前中に学校に行って、午後帰ってきてから友達と遊んで、夜テレビを見て、9時には寝る。

何かに追われることもなく過ごす毎日はゆっくりとしていました。

 

またまた余談ですが、数年前、プライベートでハワイにいったとき、仕事をすべて忘れてぼーっとしていると”俺、このまま死んじゃうんじゃないか”と思ったことありました。

それほど現代人は時間に追われる毎日を過ごしているんですね。

 

まとめです。

硬直した日本。でも近代になってからたったの100年しか経っていない。

→たったの100年間、近代教育になってから数十年間。これが正しいと思うのは間違いである。

いつから日本人は保守的になったのか?

→日本人はもともと保守的なのではない。既得権益を守りたい人がそう見せているだけ。

時間は普遍ではない

→硬直化しないために。時間は世界の共通言語ではないのだ。

余談:アインシュタインの相対性理論

時間は場所と人によって時刻もスピードも異なる

→時差はもちろん、人の主観によって時間の流れる速度は全く違うことを意識しよう。

 

時間は共通言語ではありません。

あなたが過ごす時間はあなたのローカル言語であり、グローバルの共通言語ではないのです。

 

これは時間に限ったことではありません。

あなたが常識だと思っていることは、あなた以外の人には常識ではないかもしれません。

あなたの会社で常識だと思っていること、あなたの社会で常識だと思っていること、日本では常識だと思っていること。

 

これ全部、たった何十年かで積みあがったできごとを常識だと思っているだけです。

 

たったの100年前、今のような時代がくると誰が想像できたでしょうか。

これから100年後、あなたは来るべき未来を想像できますか。

 

100年後でなくても、50年後でも、10年後でも1年後でも、誰にも予想はできません。

 

常識に囚われず、すべての可能性を信じて。

 

これはこれからの社会を生きていく我々にとっての命題であり、生き抜く力になるでしょう。

 

 

アルバート・アインシュタインン
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