WordPressテーマを「LionMedia」から「The THOR」に変更しました!

戦争はなくならないのか 「好き」という感情を押しとどめることができない

こんにちわ、かわうそです。

 

今回は、「戦争はなくならないのか」について書きます。

 

少し前、キングコングの西野亮廣さんが書いた「魔法のコンパス」でタモリさんが語った言葉が話題になりました。

戦争が無くならない理由はなんだと思う?

それはな、人間の中に『好き』と言う感情があるからだ。そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。また、好きな物を奪った奴を憎んでしまう。ホラ、自分の恋人をレイプした奴を『殺したい』と思うだろ?

でも、恋人のことを好きじゃなかったら、攻撃に転じることはない。残念だけど、人間の中に『好き』と言う感情がある以上、この連鎖は止められないんだよ。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?

 

 

戦争がなくならない理由。

とてもわかりやすく語っています。

さすがタモリさんです。

いまの私なら、最愛の息子を目の前で殺されたら、殺した相手を心の底から憎むでしょう。

決して相手を許すことができないでしょう。

そして、そんな相手の大事な人すら憎んでしまうでしょう。

タモリさん

 

 

親兄弟を戦争で殺された人が戦場にいけば、その人は鬼と化します。

そして、その鬼に殺された人の子供は、その鬼を憎むのです。

 

これが戦争につながる負の連鎖です。

誰かがはじめた戦争によって傷つけられた人たちの、負の感情が暴力として形に現れるものが戦争だとも思います。

戦争

この負の連鎖をとめなければ戦争はなくなることはないというのは同感です。

仮にどこかでがまんしたとしても、人間の負の感情はどうしても蓄積されてしまうのです。

人間はどうしてこうも業が深いのでしょうか。

人間のあるべき姿とは何なのでしょうか。

 

 

この問題を考えるとき、私は2つの物語が脳裏に浮かびます。

 

一つ目は映画「スター・ウォーズ」です。

アナキン・スカイウォーカー

「スター・ウォーズ」は家族の物語といわれます。

新シリーズもしかり、親と子のつながりがとても強く描かれていますが、この強いきずなは親と子だけでなく、あらゆるところでテーマとなるのです。

ただ、私にはこの物語の中に争いをやめるヒントがあるような気がしています。

それは「ジェダイ」という存在です。

「ジェダイ」は「スター・ウォーズ」の中で、特別な存在です。

世界の秩序を守り、悪を駆逐する存在として描かれています。

”何をもって悪というか”はおいておくとして、世界の秩序を守るため、「ジェダイ」にはあることが求められています。

それは「特定の感情を抱いていはいけない」というものです。

そのため喜怒哀楽が薄い、淡々とした人物像として描かれています。(悪に対しては断固とした態度をとりますが)

タモリさんがいっていた「好き」という感情がある限り、「戦争はなくならない」ということを表しているのと同じです。

映画の中で「ジェダイ」は、誰かを好きになってはいけないし、誰かに傷つけられても憎むことはありません。

(ジェダイでありながらそれができなかった「アナキン」だから、悲しい「スター・ウォーズ」の物語が成り立つのですが)

 

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(吹替版)
by カエレバ

 

傷つけられても相手を憎まなければ争いは減る。

キリスト教でも「右のほほをうたれたら、左のほほを差し出しなさい」と言われています。

 

 

二つ目はアニメ「エヴァンゲリオン」です。

「エヴァンゲリオン」では「人類補完計画」というプロジェクトが「使徒」を生み出し、人類を攻撃します。

私には「人類補完計画」という言葉が、いまの人類が欠陥を抱えており、我々はさらなる進化を必要としていると思えてしまうのです。

こうした考えは、人間の進化の過程がまだ解明されていないことから「ミッシングリンク」と呼ばれている、人類と猿の境界が見つかっておらず、人類は猿から進化したものではないのではないかという学説にもなっています。

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [Blu-ray]
by カエレバ

 

 

人類はどうして争いをやめられないのでしょうか。

 

「好き」という感情があるからだとタモリさんは言います。

「好き」というのはどういうことでしょうか。

我々人類は、孤独を嫌います。

たいていの人は一人では生きられません。

つまり、誰かとつながっていたい。

その思いが「好き」につながるのではないでしょうか。

だから、そのつながりを絶たれたときに絶望、怒り、憎しみを感じるのではないかと思われるのです。

絶望

もし仮に、人類の思考が何かしらの力で並列化され、ひとと無条件でつながる、それも記憶や感情を共有できるとしたらどうでしょうか。

 

例えば、人類全体がひとつの命だという考え方です。

動物や植物には、個体としての区別は明確ではありません。

いえ、明確ではないというより、明確である必要性があまりないのです。

野生動植物であればなおさらです。

個として成り立つかではなく、群れとして成り立つかが優先されます。

それはあたかも、ひとつひとつの命があるひとつの思考によってつながっており、ひとつの目的のもと、それぞれが手足、もっといえば細胞のように活動するひとつの生命体であるかのように。

ニューロンネットワーク

実は人類もそうしたひとつの生命体になれば、自らの死滅を早めるような意味のない行動はしなくなるのではと思っています。

つまり、人類も意識をネットワークでつながることはできないでしょうか。

意識や思考、感情が他人とネットワークでつながり、常に全体のひとつとして意識していることができる。

ただそこには、ひとりひとりの思考がなくなるわけではなく、自分という自我を持ちながら他人と考えを共有する。

およそ、いまの人類では想像できない境地だと思いますが、そうした自分と他人の境界線があいまいになった状態が普通であれば「ほかの人に自分の考えを知られてしまうなんてありえない!」ということもないのでしょう。

 

そうした意味で、「人類補完計画」は私にもありえる話だなと思ったわけです。

 

 

戦争のおかげで人類はここまで叡智を高められたという人もいます。

が、地球の歴史である38億年の中のたったの数千年。24時間で考えると1秒にも満たない時間が人類の歴史。

戦争をして自然環境を破壊してまで叡智を得る必要があったのかは誰にもわかりません。

人類の叡智とは

 

人類は決定的に何かまだ足りないものがあるのではないか。

いかがでしょうか。

 

 

未来を見通す目
最新情報をチェックしよう!
広告